人望民研究レポートWiki - 人望民語録・「蘭无微(らんなうぇい)」

人望民語録・「蘭无微(らんなうぇい)」


玄宗皇帝の妃嬪で悲劇の「敗走妃」。後宮で若くして階級を上げ、武恵妃の死後に皇后の下である九嬪の一人となった。蘭はその後一週間、嬉しさの余り一時間ごとに服を着替えて後宮を練り歩いたという。ところが玄宗は月日も経たぬうちに息子の妃である楊玉環(のちの楊貴妃)に心を奪われ、傷心の蘭は泣きながら後宮から退いた。その後は安史の乱にも巻き込まれず平穏な余生を過ごすが、道半ばで志が絶たれたことは悲話に違いあるまい。余談になるがファッションショーの形態は彼女の逸話に由来し、花道をランウェイと呼ぶのもその名「ランナウェイ」から来ている---民明書房刊「歴史の間に埋もれた悲劇の女性百選」より